ここどこ?

4月 11 2013
僕はひねくれ者なので、俗に言う“美談”系の話には、けっこう冷めてたりする。でも、今日
読んだマザー・テレサの以下のエピソードは、ちょっと紹介せずにはおれなかった・・・!
それは日本人神父がマザー・テレサを訪ねた思い出を語ったものだった。

マザーはカトリック教徒であるにも関わらず、死に逝く者がイスラム教徒ならコーランを
読んであげ、ヒンズー教徒ならガンジス川の水を注いであげたそうだ。
従来のキリスト教組織の慈善運動には、裏にキリスト教の布教(ある意味押し付け)が
見え隠れしたが、マザーは死に逝く当事者自身が一番やすらぐ信仰をベストとしていた。
それを見たこの日本人神父は
「自分の宗教人生で、目からウロコが落ちる体験だった」
という。

また、貧困者用の病院建設の資金を捻出するために、かのローマ法王からじきじきに頂いた高級車を“景品”に使った宝くじ(ナント!)を売りさばいたスゴイ武勇伝も載っていた。
保守的なキリスト教徒は信念の為に手段を選ばぬ彼女を“地獄の天使”と非難し、ヒンズー過激派はヒンズーの聖地ベナレスで活動する彼女を「キリスト教は出て行け!」と妨害した。

そんな彼らにマザーは繰り返しこう語ったという・・・
「人間を中心に考えて下さい。宗教のことは考えないで!」
と。

2月 03 2013

1月 14 2013
+

グルや人間は信じない。あらゆるものを信じない。
自分が確かめたものが全てだという考えです。つまり信じるんではなく、知るという事だね。

興味があるのは、
自分の漠然とした直感と外界との一致が何故起こるのか?
知りたい所だね。つまり
自分の身で感ずる
共時性が起こるメカニズムを
自分なりに解きたい。

これは私自身の無意識の癖から思考の0.5秒遅れ、つまり今を検証することだね。
この仕組みは個人の身体の癖があるから
客観的観察があてにならない。
自分で確かめるしかない。
個人的には未知のガイドが居る段階。その正体を知ろうとしている。
それから、段階という話だけれども、非常に抽象的な言い方だけれどね…、
自分の使命的な事は漠然と知った。つまり限界を知り始めているというか
作り始めているという事だね。
で、のこされた使命をするだけだよ。
で、クリア、つまり死。
そっから先はどうにでもなるから、また何をするか創造する。

11月 11 2012
カメラに映る自分のことを
  自分自身で見て笑う
  ページビューは増えていく

  主語など使わなくていい
  誰かの正義なぞれば善い
  ハイパーリンクは増えていく

  ローカルの他者いぬままに
  ナルシシズムが加速する
  インターネットは閉じている

  放射性の物質と
  デジタルデータの口げんか
  どっちが長生きするだろう

  顔も見えない私の
  こんなくだらんつぶやきは
  どうかコピペしなさるな

9月 24 2012
9月 18 2012

9月 17 2012
私の不安に触れるってことは
月の裏側を見るようなもんかな
つーことはやっぱ
触れられないのか
わかんね

9月 14 2012
素晴らしくすっ飛ばして書くならば、私達は明日もおそらく朝、目覚めるだろう。
そして過去の延長上の自分だと信じこんでいるだろう。
これはひとつの生においても起こりうる原理だと想定して考えれば、
私達はまた生まれても、過去の延長上の自分だと信じ込んでいることだろう。
しかも、過去は証明することはできないのである。その理由は、過去は今の認識が
刷新された瞬間、過去の普遍性を証明することもできなくなってしまうからである。

9月 02 2012
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